院長 鎌田 賢介

院長 鎌田 賢介

生まれも育ちも徳島市両国橋、そうまさにこの地(カマタ歯科クリニック)で小学校3年生までいました。小さい頃は、この辺の路地裏を走りまわっていました。

その後、城南町に住んでおりました。県営住宅の横です。家の周りは今でこそ住宅地ですが、以前は野原の中に数えるほどの家でした。

昭和24年12月27日生まれなので、バリバリ団塊の世代です。
童顔と多少小太り体型なので、年より若く見えるとよく言われ、得をしています。
家族は妻、子供3人、(男1人女2人)ハムスター1匹です。

■私の大学1年生の頃のエピソードを!

私の大学受験、入学の年は東大紛争があり、安田講堂が陥落、大学紛争が全国に飛び火し、その結果、東大の受験が中止されたりと、いろんな混乱がおき 大変な年でした。私が入学した広島大学でも学校は中核派に占拠され、授業も行えない状況でした。

9月まで全く授業はなく、バリケードの中で同級生と顔をあわせては愚痴る日々でした。もっとも、膨大な自由時間ができ読書三昧(マンガから専門書まで)に過ごす日々でもありました。

8月になり夏休みで帰省した時、母が

「テレビで広島大学のことをやってるよ。」

と言うので画面を見ると 安田講堂と同じように 火炎ビンを投げ学生会館が炎上、それに機動隊が放水する様子が映し出されていました。結果、占拠学生は排除され九月から授業が開始しました。 1年生は半年で1年分のカリキュラムを仕上げたような状態でした。

まあ、慌ただしい1年目の学生生活を送りました。